「Non-judgemental」って、いい言葉だなと思う

2025-10-18

※ non-judgemental: not judged or judging on the basis of one's personal standards or opinions.

「人をジャッジしない」空気

オーストラリアで暮らしていて、いいなと思うことのひとつに、
人を「何の仕事をしているか」で判断しない雰囲気があります。

オフィスで働く人も、農場で汗を流す人も、弁護士も、トラックを運転する人も、
スーパーのレジに立つ人も、みんなそれぞれの役割を持って生活している。
そこに上下のような空気をあまり感じません。

でもオーストラリアでは、そういう区別があまり強くないんです。
オーストラリアは、もともと流刑地として発展してきた歴史があります。
「罪を犯した人たちが新しい人生をやり直す場所」として始まった国。
自由を重んじる文化が根っこにあるというか、
どんな過去でも、どんな人でも、今をどう生きるかが大事」という考え方が自然にある気がします。

それに、いろんな国の人が集まって暮らしているから、価値観も本当にさまざま。
言葉も、肌の色も、宗教も、価値観も違う。
そういう多様な環境の中では、誰かを“みんな共通の物差し”で測ること自体がナンセンス。
むしろ「みんな違って当たり前」と受け止める方が自然です。

だからこそ、「Non-judgemental(ジャッジしない)」という姿勢が
日常の中に当たり前のように根づいているのかもしれません。


自分に貼っていた「ラベル」からの解放

私自身、日本にいた頃は「職業で人を判断していた」というより、
自分自身にラベルを貼っていた気がします。

男社会の中で働いていた時期は、「男性と張り合えるように強くあらねば!」と虚勢を張って、
無意識に自分を制限していたように思います。
誰かにそう言われたわけではないのに、“〜すべき”とか“〜でなければ”という枠を自分で作って、
その中でもがいていました。

でもオーストラリアで暮らすようになって、
その“ラベル”を少しずつ手放せるようになった気がします。

Non-judgemental(人を判断しない)ということは、
自分をも判断しすぎないということ。

誰かに貼るラベルも、
自分に貼るラベルも、
結局は生きづらさに繋がるのかもしれません。

これからは、もっと軽やかに、
「今の自分」を受け入れていけたらと思っています。
完璧じゃなくてもいいし、途中でもいい。
それをそのまま見せられる人でありたい。


そして、子どもたちにも伝えていきたいです。
誰かの“役職”や“肩書き”よりも、
その人の優しさや誠実さ、
笑った時の顔を見られるような人に育ってほしいなと思います。

人を肩書きや職業で見ない、
その人の今と向き合う——。
そんな空気の中で暮らせていることに、
今日も感謝だなと思います。

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