2025-08-17
僕たちがこのブログを始めた理由は「はじめに」の記事で記しました。
夫婦で協力して共同執筆ブログを立ち上げましたが、今回は僕個人としてブログを始めようと思うに至った経緯を書きます。
いくつか理由があり、今回はその一つ目。
それは「日本にいる家族や友人たちに『元気でやっているよ!』ということを具体的に伝えておきたい」と思うようになったからです。
僕はとても連絡不精な性格です。大学時代に一人暮らしをしていた頃、「たまには用がなくても連絡をよこせ」と親によく言われていました。
実は移住後の最初 2、3 年は Twitter(当時)を頻繁に更新して、家族や友人たちに元気で過ごしていることをさりげなく伝えていました。短文で投稿でき、反応はごく稀にしかないものの、目的は果たしていたと思います。
ただ、Twitter は中毒性・依存性が高いサービスです。自分が投稿する以外は目を通さないよう意識していましたが、タイムラインに入ってくる他の人の投稿や話題がついつい気になり、気づくと 10 分も 20 分も消費してしまいました。自分の意志だけでこの「ついつい」を回避するのは至難の業ですよね。皆さんも思い当たる節があると思います。
これは良くないと思っていたちょうどその当時、Netflix のドキュメンタリー“Social Dilemma”(邦題『監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影』)が話題となり、ソーシャルメディアの怖さを実感しました。そこで Twitter アカウントをすぐ閉じてしまいました。
そのタイミングでブログを始めようかとも考えましたが、Twitter と違いブログは長文を書く意識が必要で(勿論、長文である必要はないのですが)、当時はそこまでの気合がありませんでした。
時は流れ、娘たちも成長。少し自分の時間ができたことで、冒頭の「日本にいる家族や友人たちに『元気でやっているよ!』と具体的に伝えたい」という思いが強くなってきました。
ドライな性格なので「日本の友人たちに会えなくて寂しいか?」と問われれば、実はそこまでもありません。ただ、結婚式や同窓会が開催されるという話を聞いても、よほどのことがない限り帰国して参加することはできません。
コロナ禍以降は年に一度一時帰国していますが、会える人は限られています。すると友人たちとの繋がりは少しずつ弱まっていくものです。いくらドライな僕でも、それはやっぱり切ないなと思うようになりました。
今の時代は本当に便利で、ビデオチャットが手軽に出来ます。たまに友人と繋いで近況を報告し合います。それでもやっぱり対面で会う事の代わりにはならないですよね。
ブログで発信を続けていれば、いつかまた友人と再会した時に「オーストラリアでも元気にやっていたみたいだね」や「ブログ読んだけど、〇〇の記事の件はその後どうなった?」なんて会話が広がると思います。
もともと友人は多くありませんが、ブログを読んでくれる人はさらに片手で数えられるほどでしょう。それでもいいと思っています。ブログを始めた理由はこれだけではありませんしね。
これが、僕がブログを始めた一つ目の理由です。