2025-08-13
第 1 章からの続きです。
高校 3 年生のとき、オーストラリアへの興味が芽生えました。
当時は「大学生になったら絶対に海外へ行く、オーストラリアへ行こう」と、心に決めていました。
高校卒業後は東北大学工学部に進学し、仙台での一人暮らしがスタート。
18 年間暮らした地元、親元を離れての新生活は変化が大きく、最初は不安と期待でいっぱいでした。大学生活が始まった春、部活やサークルの新歓イベントが盛んに行われていて、いろいろ見て回った結果、よさこい踊りのチーム(サークル)に入ることに。オリジナルの曲や振り付け、衣装を作って、全国のよさこい祭りや地域のイベントで踊るチームです。
僕は修士課程の 2 年間も含め、計 6 年間大学に通いましたが、特に最初の 3 年間はこのチーム活動に明け暮れていました。とにかく楽しくて、気づけば頭の片隅にあった海外への夢も、いつの間にか薄れていった気がします。
一方で、「英語をしゃべれるようになりたい」という気持ちは少なからず残っていました。
中学・高校の英語の授業ではスピーキングやリスニングをほとんど訓練する機会がなく、もどかしさを感じていました。大学 1 年になっても必修単位として「英語」があり、その内容は高校英語の延長のような授業。「もうこれ以上、勉強としての英語はうんざりだ」と思っていたとき、この英語の必修単位は TOEIC で 600 点を取れば認定される制度があると知りました。そして授業を受けず、TOEIC で単位取得を目指すことにしました。
普通に講義に出たほうが単位は簡単に取れたと思いますが、TOEIC でリスニング力を鍛えたほうが自分のためになると思ったんです。結果、無事に 600 点以上を取得して単位をゲット。当時、この制度を利用する学生はほとんどいなくて、「みんなやればいいのに。こっちの方が実践的なのに」と思っていました。
ただ、その時点での英語への意欲はそこまでで、さらに高得点を狙ったり、外国人の友達を作ったりするほどには至りませんでした。
大学 4 年になり研究室に配属されると、研究室での活動に多くの時間を使うようになりました。
調査研究の一環で英語論文を読む機会が増えたのですが、不思議と苦になりませんでした。TOEIC の試験勉強を除いて、自分から進んで英語を読むなんてこれまでなかったのに、自分で選んだ研究テーマに関連する内容だと、英語を読むのが楽しかったんです。この時期にたくさん英語論文に触れたことで、「大量の英語を読む」耐性がつき、その後の自分にとって大きな財産になりました。
修士課程 1 年の冬。
高校の先生から言われた「大学生のうちに海外へ行きなさい」という言葉は常に頭の片隅にありましたが、いよいよ大学生活も残すところあと 1 年になりました。
そんなとき、修士 2 年で卒業間近の先輩がパリへ卒業旅行へ行くと聞き、「僕も連れて行ってください!」とお願いして同行することに。これが初めての海外旅行でした。
その後も運良く、研究発表の機会でドイツと台湾へ行くことができました。
さらに、卒業を控えたタイミングで自分自身の卒業旅行として、スペインとロンドンを周遊。
こうして大学生活最後の 1 年間で続けざまに海外を訪れることになり、高校のときに思い描いた「海外へ行きたい」という夢を、一か国ではなく複数の国で叶えることができました。
お気づきのように、この間オーストラリアには結局行きませんでした。
卒業旅行でオーストラリアを選ぶこともできたはずなんですが、理由はよく覚えていません。ただ、そのときはなんとなくヨーロッパを選んだんですよね。何でだったんだろう?
でも、どの国を訪れても、自分にとっては新鮮な刺激があって、その感覚が心地よかったんです。もちろん「闇夜に浮かぶモンサンミッシェル」や「夕焼けに染まる荘厳なアルハンブラ宮殿」、「小汚いけど超美味い台湾の小籠包」みたいな分かりやすい“絶景”や“驚き体験”も印象的でした。
ただ、自分の場合は、それだけじゃない。車窓から見える、何の変哲もない田舎の景色、ガイドブックに何の見所の記載も無い街の街並み、朝の通勤途中のビジネスパーソン、食べ歩きの途中にふらっと入った飲食店、名も知れぬ公園…。そういう何気ない日常の風景や暮らしの空気をただただ感じるのが、面白かったんです。
その土地にしかない空気感を肌で感じて、日本との違いを比較したり、勝手に妄想したり、学びや気づきを得て好奇心が満たされる。そんな些細な体験や気づき、感覚こそが、海外を訪れる一番の魅力なんだと気づいた大学生活最後の 1 年間でした。
恩師に言われた「世界の広さを自分の目で確かめなさい。」というメッセージは、数か国をまわった大学生の自分にとって、逆説的に言えば、これまで気づかなかった自己の内面を知る大きなきっかけになりました。
そして社会人になって 1 年ほど経った頃、ついにオーストラリアへ訪れることになります。
そこでの経験は、僕のその内面をさらにくすぐる、特別なものとなりました。
第 3 章に続きます。